見る前に書け!

見た後も書く

映画『イレイザーヘッド』を見た!

さて、本日見た映画はこれ。

イレイザーヘッド』1976年

クリーチャーの見過ぎでもはや可愛いまである
見る前

いつかデヴィッド・リンチには触れておかなければと思って数年。ようやく決心がついた。
とにかくカルトな人気の高い映画、全編モノクロ、シュールな物語、もじゃもじゃ頭の主人公と謎のクリーチャーみたいな生き物が出てくるという部分だけ知っている。正直あんまり分からんのだろうな、でも分からなくてもいい。食わず嫌いをやめたい。

あらすじ

もじゃもじゃ頭のヘンリーは恋人のメアリーの家族と夕食の最中に、メアリーが赤ん坊を産んだので結婚しろと迫られる。しかしその赤ん坊は手足がなく魚のような顔をした謎の生物であり、メアリーの子かどうかも定かでない。ヘンリーとメアリーは新婚生活を始めるが、赤ん坊の奇妙な鳴き声にメアリーが耐えきれずに出ていってしまう。そこからヘンリーは様々な悪夢的現象に苛まれていく。

見た後

ひえー、やっぱり難解。台詞は殆どなく、シュールで不気味、熱でうなされた日に見る悪夢を映像化したような作品。ただモチーフだけで見れば、なんとなく読み取れるものがありそう。

恋人のメアリーや不気味な家族は理解の及ばない他人への恐怖、泣き叫ぶ奇形の子供は不安のメタファー。妖艶な美女は一度肌を重ねるものの別の禿げた中年男に靡いてしまう。そこには性行為、あるいは男性としての自信のなさが描かれているように見える。ヘンリーがメアリーとの肉体関係を頑なに濁し続けるのは、例えば勃起不全などで最後まで及べてないからで、そのトラウマの具現化があのグロテスクな精子型の胎児なのかもしれない。

そして最後、ヘンリーは霧の中で顔の膨れた女と抱き合い安堵の表情を浮かべる。彼女は精子のような胎児を踏み潰しており、子供を作らない、肉体関係を持たないプラトニックな愛の象徴という事なのではないか。

冒頭とラストに出てくる肌の爛れた男の存在や、中盤の取れたヘンリーの首で消しゴム鉛筆を量産するシーンは今ひとつ分からないけど、観念的なものを描く際にシュルレアリスムの手法はぴったりな手法だし、分からないけど分かる、分かりたくなるという域にまで達しているからこそ、デヴィッド・リンチががカルトの帝王になりえた所以なのかもしれない。